44年の重み

あの日、私が4年間の留学の目的で、日本を発った日から、44年の年月が流れた。4年ではなく、44年になってしまった。そして、まだ続くだろう。

庭にも、散歩道にも、いたるところに、あの頃と同じように雪鐘草(待雪草)が咲いている。44年前、この北国で、頑張って学ぼうと誓った花だ。そして、絶対に、なんとしてでも、ここで学べた幸せを故国へ持ち帰ろうと。故国で果たせなかったことを。

2年後、悲しい思いで、この花を見ることになった。思いもよらない病気で、3ヶ月、入院した。病気で、挫折してしまった自分。家族から遠く離れ、その上やっとできた友人たちとも離れて暮らした、寂しい日々に見た花だった。

そしてまた時が流れ、この国の中で、4つ目に住んだ町、そこから、後に夫となった人を訪ねて、800kmもの旅をして訪ねた深い雪に覆われた町、そこでも雪鐘草は咲いていた。いつもこの時期だった。

その3年後、私がこの国に住んで、ちょうど10年になった。結婚するために、友人の運転するトラックで、雪で真っ白にそまった町々を通り、私が住んだ5つ目の町へと引っ越した。町に着いてから、雪の積もった道でトラックが動かなくなり、道行く人達が押してくれた。荷物をおろした後、3人で歩いた、ドナウ河の辺りにも、雪鐘草は咲き乱れていた。

6つ目の町には8年住んだ。そこで子供がふたり生まれた。勿論その町にもこの時期になると雪鐘草は咲いていた。大きいお腹で歩いた道にも、ふたりの子供と歩いた道にも。

そしてまた引っ越した。数年の予定で、家族4人で住み始めたこの町がどうやら私の永住の町になりそうだ。

庭には待雪草が雪を待って咲いている。暖冬なのだ。この北国に雪がないというのに、太陽の国、私の故国では、記録的な大雪で、交通、日常生活に大混乱が起きている。

待雪草の花言葉は希望、慰め、逆境のなかの希望、恋の最初のまなざし… 44年前に、絶対に、絶対に…と誓った花! その2年後に落胆して寂しく見つめた花。その後はいつも希望の、喜びの花だった。でも、いつもこの花を見ると、何故か、あの時、病院の庭に咲いていた雪鐘草を見つめていた若き日の自分の姿が重なり、目頭が熱くなる。

待雪草は私の44年の重みを知っている。

カテゴリー: 未分類 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です